NHK大河ドラマで放送されている「黒田官兵衛」。

 官兵衛くん

水巻は実はこの黒田藩との関わりも深いのです。

天才軍師として知られ、大河ドラマで取り上げられた「黒田官兵衛」。

この官兵衛が豊臣秀吉の家臣時代に、豊前の国(現在の福岡県東部と大分県北部)を与えられ中津城を建造します。その後、家督を息子の長政に譲り、自身は秀吉の側近として仕えるようになりました。

秀吉の死後に起こった関ヶ原の戦い。この戦いで徳川家が勝利し江戸時代の幕開けとなるのですが、このときに黒田家は徳川家につき長政は手柄をたてます。徳川家康はこの長政の活躍に対し、筑前の国(福岡)を与え黒田家は約52万石の大大名となりました。

この黒田藩を支えた「黒田二十四騎」と呼ばれる黒田藩初期の重臣たちですが、ドラマの中でもそれぞれが個性的に描かれています。その二十四騎の1人栗山善助の子栗山大膳(利章)は長政の命で第一期の遠賀地域の堀川開削工事の責任者となっています。この堀川の開削により遠賀川からの洞海湾までの水運が可能となり地域の生活をかえるものとなりました。

その後明治中期以降は石炭輸送の大動脈として重要な役割を果たし炭鉱の町として栄えた水巻町の歴史に大きな影響を与えました。

また、黒田藩は江戸時代初期まで曲がりくねった暴れ川だった遠賀川をまっすぐな流れに変える工事を行いました。これにより少しの雨でも頻繁に洪水が発生し田畑が水浸しとなっていた人々の生活は救われました。

そういうわけで水巻町の神社には黒田藩とのゆかりがあるものが多いようです。

↓川守神社(水巻町吉田)には六代藩主黒田継高が祭ってあります。川守神社

黒田藩と水巻。密接な関係がありました。現在の肥沃な土地での農業が発展したのも黒田藩の力が大きいようです。みずまきのでかにんにくもそんな土地で育っているのです!

 

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